「孤独」を感じない現代人=デジタルな「繋がり」
携帯電話やパソコンといったネットワーク端末からインターネットに接続し、サーチエンジンで「出会い」と入力すると数多くの出会い系サイトがヒットする。Yahoo!やexciteといった大手ポータルサイトでさえ出会いサービスを提供し、それをビジネスとして利用している。
すでに一つのマーケットとして確立している「出会い」だが、仮想世界での出会い探しの登場は、「ポケット・ベル」登場がきっかけだった。当初はビジネスマンのための製品だったそれであるが、そのうち中高生を中心とする若者層のパーソナル・メディアへと変貌し、浸透していった。
彼らはランダムな番号にメッセージを送りはじめ、(これは殆どの場合無視されるようだったが)少なからずそれに返信する人もおり、コミュニケーションが成立しはじめる。
これが顔も声も知らず、相手の素性もよくわからない、端末上だけの友好関係「ベル友」という概念が誕生した。
昔の出会いと比較してみよう。
それ以前にも見知らぬ人と知り合うことが出来る手段は確かにあった。例えば、文通。しかしそれに比べ、デジタル・デバイスをベースとすることに非常に魅力があったようである。電話するほど急いではいないけれど郵便だと遅すぎるしFAXだと他人に読まれてしまうかもしれない。
NTT DoCoMoからMUA(メールクライアント)搭載端末、i-modeが発売されるや否やそれは爆発的に普及し、「メル友」が登場した。i-modeは見知らぬ人との出会いをプロデュースしてくれた。
最近の小学校や中学校でインターネットを利用しているコンピュータを備え付けている学校も着々と増えてきている。海外の学校の人たちと交流をしたりして異文化に住む友人を作ることで異文化社会の学習に役立てている学校もある。
デジタルデバイスを使い、ネットワーク通信で「繋がる」ということは、特別なことではなくなってきている。
携帯電話を持つことが当たり前となった現在、その便利さ故、それへの「中毒症状」を起こしてしまうケースがある。友人とのコミュニケーションにしたってそう。物理的につながることができなくても、最高に面白い時間をすごせることはできるのだ。
その場で一人でも心は二人。街に出ても携帯電話を耳にあて、歩く人がいる。純粋に「一人」で居る人が減ってきた。電車の中、ずうっと携帯電話でメールをしている人が何人いることか。携帯電話が一人を一人でなくし、夜中を夜中でなくした。
もしかすると道徳と規律を乱し、正義と不正義の境界線をも揺れ動かしているのかもしれない。
仮想現実の中に浸って、本当は恐ろしく独りぼっちなのにそれに気づいていない、そんな人が今、日本中に大勢いる。そんな気がしてならない。
なんだか寂しいですね。
(引用:ライブドアニュース)